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【Vol.2】リン脂質とDHA

【Vol.2】リン脂質とDHA

細胞膜を作る「リン脂質」

オメガ3系脂肪酸をはじめ、さまざまな脂肪酸の多くは単独の遊離体ではなく、「リン脂質」などに結合した形で全身に運ばれます。DHAやEPAなど健康に大切な働きをするオメガ3系脂肪酸が全身で機能を発揮するには、リン脂質が欠かせないのです。

では、「リン脂質」とは何なのでしょうか。
リン脂質は食事からとった脂肪や糖分が腸で分解され吸収されたあと、私たちの細胞のなかで形を変えた脂質の一種です。リン酸を含む構造をしているため、その名前があります。その最も重要な役割は細胞膜の主な成分であること。バクテリアからあらゆる高等動物まで、生物の細胞膜はリン脂質で作られています。

なぜリン脂質が細胞膜の成分に適していたのか―――それは、水に溶ける部分と脂に溶けやすい部分の両方を併せ持つ「両親媒性」という性質があるからです。

図1はリン脂質がどのように細胞膜を作っているかを示したものです。ピンク色の丸い部分は親水基といい、水になじみやすい性質があります。一方、2本伸びた脚のような緑色の部分は疎水基といい、水をはじく性質があります。これが図のように逆向きに並ぶと外側は水に溶け、内側は脂肪で固まり水を抱えこむことができる「脂質二重膜」となります。

大海の中で細胞が誕生するためには、水中にありながら、中に水を抱えることができる脂質二重膜による箱が必要でした。複製の原点はRNAと言われていますが、リン脂質がなければ膜を持った細胞はできず、生命体が誕生するにはリン脂質の誕生を待たなければならなかった。いわばリン脂質は生命の起源と言ってもよい存在だと思います。

図1 脂質二重膜を作るリン脂質

 

Image 脂質二重膜を作るリン脂質

 

出典:Stryerより清水孝雄先生による改変

リン脂質の機能

冒頭にお話ししたとおり、リン脂質は2つの脂肪酸がくっついたものですので、脂肪酸の種類によって多くの組み合わせがあります。リン脂質がどのような脂肪酸を結合するかで細胞膜の性質も異なります。融点が高く、硬い飽和脂肪酸がついたリン脂質よりも、溶けやすくやわらかい不飽和脂肪酸がついたリン脂質の方がやわらかい細胞膜になります。細胞膜は、私たちのヒトとして生きる上での体の基本ですから、脂肪の摂り方が生命の質に影響すると言ってもよいと思います。

リン脂質が私たちの生命にどれほど大切な役目を果たしているか、ひとつの例として呼吸に不可欠な「肺サーファクタント脂質」が知られています。酸素を取り込み、二酸化炭素とのガス交換を行う重要な場所である「肺胞」に、リン脂質でできた「サーファクタント」があり、肺胞をつぶれないように保っているのです。かつては多くの新生児の命を奪った「新生児呼吸窮迫症候群(IRDS)」という病気がありましたが、岩手医科大学名誉教授の小児科医、藤原哲郎先生がサーファクタント脂質の欠乏が原因であることをつきとめ、リン脂質を活用した治療法を開発して、世界中の多くの赤ちゃんの命を救ったという歴史があります。1)

生命の誕生と、生命の維持。そのどちらにも深くかかわっているリン脂質は、まさに生命の不思議な力から産み出されたものだと思います。

“高度な運び手”「リゾリン脂質」の生理活性機能

リン脂質がさまざまな脂肪酸を全身に運んでいるのですが、中には運ぶのが難しいところもあります。それは、脳や精巣、網膜といった臓器です。脳には「血液脳関門(BBB)」、精巣には「血液精巣関門」、網膜には「血液網膜関門」という仕組みがあり、大切な臓器を有害な物質から守るため、血液から物質が入ってくるのを厳しく制限しています。いわば、体のなかでもきわめて厳しい検問所が設けられているのです。

ところが、実際にオメガ3系脂肪酸のDHA(ドコサヘキサエン酸)は脳や精巣、網膜などに集まっており、神経活動の維持や発達に重要な機能を果たしています。人体のなかでもアクセスの難しい「脳」にどうやってDHAを送り込むのか――研究者の間でも永年の謎だったのですが、シンガポールの研究グループが2015年にリン脂質の一種である「リゾリン脂質」を脳に運ぶ輸送体を発見しました。2)リゾリン脂質とは脂肪酸が一つしか付いていないリン脂質のことです。この発見をきっかけに、脳、精巣、網膜といった運搬が難しい臓器にDHAを運ぶ主役はリゾリン脂質ではないかと提唱されています。これはDHAに限ったことであるのか、真の脂質輸送メカニズムであるのか、まだ、確実な結論は出ていませんが。

また、リゾリン脂質自体にも血小板の凝固や、細胞の増殖のコントロールなどさまざまな生理活性機能があります。がんや肝硬変、間質性肺炎などの原因となる肺の線維化にもかかわる一方、睡眠の調節や痛みの感受、気分の落ち込みや高揚などの情動といった神経への作用もあると言われています。
たとえば、リゾホスファチジン酸というリゾリン脂質分子が、細胞増殖、神経機能、臓器の線維化などに関係していると報告されています。この分野の研究には日本人の貢献が大きいです。

長年の研究で明らかになったオメガ3系脂肪酸の機能

Image 長年の研究で明らかになったオメガ3系脂肪酸の機能

“運び手”であるリン脂質やリゾリン脂質のお話をしましたが、“運ばれる”側のオメガ3系脂肪酸の機能についても少しご紹介しましょう。

DHAやEPAの存在が広く知られ、健康によい「機能性脂質」として注目されるようになったのは、1980年に発表された、グリーンランド在住の民族イヌイットに対する長期間の健康調査がきっかけでした。3) 1950年から20年以上住民の死因を追跡し、デンマークに移住したイヌイットと比べたところ、グリーンランド在住のイヌイットは心臓病による死亡率がはるかに低いことがわかりました。
原因を探るうちに、食生活に違いがあることがわかってきました。デンマークに移住した人はいわゆる動物性脂肪の多い食事を摂っていたのに対し、グリーンランドに住むイヌイットはDHAやEPAが豊富なアザラシなどの海獣や魚をよく食べていた――この違いが関係しているかもしれないと考えられたのです。

この研究結果が世界に知られると、日本国内でも、食生活と健康状態の関係についての疫学調査が行われました。河川・海に近い地域の人はオメガ3系脂肪酸をたくさん摂っており、死亡率も低いことが報告されました。

その後、多くの脂質研究者たちが動物実験などを通じて、DHAやEPAの血栓予防、抗炎症作用などさまざまな機能を明らかにしました。4)
さらに実験室内のデータを検証するために、実際のヒトで検証する実験(臨床試験)も行われました。オメガ3系脂肪酸をより多く摂ったグループと、それ以外のグループとを10~20年と長期に追跡する試験が行われ、オメガ3系脂肪酸、特にEPAの摂取がさまざまな健康対策に役立つことが明らかになったのです。 5)

DHAやEPAなどのオメガ3系脂肪酸を十分に摂ることが全身の細胞膜をやわらかく保つことにもつながる―――このことが、私たちの健康にも非常に大切なことなのです。もちろん、適度な運動、禁煙などが重要なことは言うまでもありません。

出典:

  1. Fujiwara T,Maeta H,Chida S et al., Lancet 1980;1(8159):55-59.
  2. Nguyen, L., Ma, D., Shui, G. et al. Nature 509, 503–506 (2014).
  3. Bang HO et al.,Am J Clin Nutr. 1980 Dec;33(12):2657-61
  4. Iso H et al.,Circulation.2006;113:195–202
  5. 日本生活習慣病予防協会ホームページ(2022年7月6日時点)